Lamb's Foldー青年会のブログー





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内村鑑三「寡婦の除夜」 :: 2015/10/20(Tue)

今、日本はどこに向かっているのでしょうか。

行き着く先は、戦争なのか、平和なのか。

結果だけを見ようとしてしまうと、諦めや絶望、無力感と虚無感に襲われてしまう。

今は、結果ではなく、どのような「過程」を私たちが作っていくのかが大事なんだろうと思う。

この日本で起きていることを、あくまで冷静に、けれど平和の熱い思いをもって見続けることが大事だろう。

最近読んだ、ヘンリー・ソローの『歩く』という本に、こんな一節があった。

「見ることができるまで、長い時間見なければならない。」

本当に見えることがあるのだろうか。でも、長い時間がかかっても、どんな状況にあっても見なければならないことがある。



見なければならない事の1つに、「戦争を経験した人の声」がある。

江戸末期に武士の家に生まれ、日清・日露戦争、不敬事件を経験した内村鑑三。

「寡婦の除夜」

明治29年(1896年)の歳末、軍人が戦勝に誇るを憤りて詠める

月清し、星白し
霜深し、夜寒し
家貧し、友少なし
歳(とし)尽きて、人帰らず

思いは走る西の海
涙は凍る威海湾
南の島に船出せし
恋しき人の跡ゆかし

人には春の晴れ衣
軍功(いくさいさお)の祝い酒
われには仮りの侘び住まい
ひとり手向くるあかの水

われ、むなしゅうして人充(み)ち
われ衰えて国栄ゆ
貞を冥土(めいど)の夫(つま)に尽くし
節を戦後の国に全うす

月清し、星白し
霜深し、夜寒し
家貧し、友少なし
歳尽きて、人帰らず


戦勝に喜ぶ声があがる大晦日、夫を亡くし泣く妻の悲しみを内村は詠んだ。

このような日本に戻ってはいけないと、私は願う。

まほ
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内村鑑三の文章を読む 『何のための艱難か』 :: 2014/09/05(Fri)

礼拝で、「内村鑑三の文章を読む日」、というのがあります。
今回、私が担当したので、その原稿を載せたいと思います。
長い文章ですが、希望と励ましを与えられる内容ですので、ここでも分かち合いたいと思います。

 「何のための艱難か」 

何のための艱難であるか。
罪を罰せらるゝための艱難ではない。愛なる神は人の罪を罰するために艱難を下したまわない。
さらば何のための艱難であるか。
自分の罪をあがなうための艱難ではない。もし艱難の目的がこれにありとすれば、自分は終生艱難を続くるも、その目的を達し得ないのである。
また他人(ひと)の罪をあがなうための艱難ではない。
われは焼かるゝためにわが身を与うるとも、他人の罪をあがなうことはできないのである。
さらば何のための艱難であるか。
イエスを知るための艱難である。彼と共に艱難(くるし)みて、彼の生命の頒与(はんよ)にあずからんための艱難である。パウロの言葉をもって言うならば、
 これ彼および彼の復活の力を知り、彼の死のさまにしたがいて彼の苦難にあずかり、
 いかにもして死者のうちより復活することを得んがためなり。(ピリピ書 三章十、十一節)
である。
これゆえに、我はイエスがその身に受けたまいし艱難をことごとくわが身に受くる必要があるのである。イエスは国人に捨てられたもうた。われもまた国人に捨てられて彼のその苦難にあずかることができるのである。イエスは友の売るところとなりたもうた。われもまた友の売るところとなりて、彼とその艱難を分かつことができるのである。
イエスには世人(ひと)の知らないいろいろの艱難が臨んだ。しかして神の恩恵により、われにもまた同じ艱難の順序を追うて臨むありて、われはますます深く彼を知り、同時にまた彼の復活の能力(真生命)を知ることができるのである。
 まことにイエスを知るは限りなき生命である。(ヨハネ伝 十七章三節)。
しかしてイエスを知るために必要なる艱難を受くることは彼の生命を受くるために必要である。
艱難をイエスを知るための必要と解して、艱難の意味は明白になるのである。
ゆえに艱難の多きことは決して歎くべきではない。
 そは、キリストの苦難われらに多くあるがごとく、われらの慰めもまたキリストによりて多く
 あればなり。(コリント後書 一章五節)
とある。世には艱難の多きのゆえをもって「艱難の問屋(とんや)」なりとてあざける教会信者がある。しかしながら、かく言う人はまだ艱難の意義をも価値をも知らないのである。イエスご自身が「艱難の大問屋」でありたもうたのである。しかしてわれらは艱難を多く受くれば受くるほど、それだけ近くイエスに近寄り、彼に似ることが出来るのである。艱難を知らない者はイエスを知らない者である。ゆえにパウロは言うた、
 われはキリストのために弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行きづまりとに会うを楽しみとせり。
 (コリント後書 十二章十節)
と。
まことに朽ちる金よりも貴く、光る金剛石よりも値いと貴き者はわれらに臨むさまざまの艱難である。
                            一九一四年(大正三年)『聖書之研究』


2014年9月5日(金)朝拝
英語讃美歌125番(Sweet our of prayer)  日本語讃美歌 522番(道にゆきくれし) 
聖書 フィリピの信徒への手紙3:10 / Ⅱコリント信徒への手紙12:7

今日は、1ヶ月に一度の「内村鑑三の文章を読む日」です。
3つ位、文章をピックアップしたのですが、その中でも、今、皆さんと共有したいもの、共に読み、何か1つでも生きるヒントや自分の置かれた状況を心に納めていく時の気づきになったら良いと思う文章を選びました。お配りした「何のための艱難か」を共に読んでいきたいと思います。

まず、文章を読む前に、「艱難」という言葉の意味ですが、
艱難とは、辞書によれば「困難に出会って苦しみ悩むこと」です。
この文章を書いた内村自身艱難の連続で、
山本泰治郎という人は、「内村ほど艱難をなめ尽くした人は稀である」と言うくらい、
社会的、家庭的、経済的にも艱難を持った人でした。

今まで生きてきた中で、年齢に関係なく誰でも1つは困難や悩みがあって、
どうしてそれが他の人ではない自分の身に起こるのかと考えた事があると思います。私にもあります。
そんな固有の艱難を思い浮かべながら、この内村の文章を読んでもらえたらと思います。
一行づつ読みながら、解説を加えていきたいと思います。

『何のための艱難か』

《何のための艱難であるか。罪を罰せらるゝための艱難ではない。
愛なる神は人の罪を罰するために艱難を下したまわない。》

何のための艱難か。罪に対する罰ではない。愛の神は、罰のために艱難を下さない。

《さらば何のための艱難であるか。》

では、何のための艱難か

《自分の罪をあがなうための艱難ではない。
もし艱難の目的がこれにありとすれば、自分は終生艱難を続くるも、その目的を達し得ないのである。》

自分の罪をあがなうための艱難ではない。もしそうなら、一生艱難を受けても、自分の罪を償うことは出来ない。
「あがなう」とは、罪をつぐなうとか、それに相当する事を行うという意味です。
旧約聖書のレビ記16章には贖罪日(しょくざいび)について書かれた記事があります。
神がモーセに対して、贖罪の献げ物と贖罪の方法について語られた記事です。
このように、罪をあがなう為の方法、行いというものが旧約聖書の時代からあったのですが、自分の身に艱難が降り注ぐのは、自分の罪をあがなうためではない、と内村は言っています。

《また他人(ひと)の罪をあがなうための艱難ではない。
われは焼かるゝためにわが身を与うるとも、他人の罪をあがなうことはできないのである。》

また、他人の罪を償うためでもない。我が身を焼かれるために与えても、他人の罪をあがなうことは出来ない。
ここは、とても大事な所だと思いました。「他人(ひと)」と言った時に内村が具体的に誰の事を思いながら書いたのか、分からないけれど、皆さんなら、誰を思い浮かべますか?
親、兄弟、友人、夫、妻、同僚などを思い浮かべるでしょうか。
その他者が持つ罪を、自分は代わりに負うことが出来ないのです。
皆さんもそうかもしれませんが、私は何か人のために自分が苦しんだり、傷ついたり、押さえたり、我慢したりすれば良いという発想をつい持ってしまいがちです。
拡大解釈かもしれませんが、「人の罪」を他人の「傷」と読み替えた場合、それを代わりに負おうとしても、自分が他者の罪や傷をあがなう事はできないのです。

続けます。次の箇所で、内村は艱難の理由に対する結論を述べています。

《さらば何のための艱難であるか。イエスを知るための艱難である。》

何のための艱難か、というと、「イエスを知るための艱難である。」と、明快に言っています。
そして、イエスを知るというのは単に名前を知っているとかではなく、心に迎え入れている状態を言っていると思います。

《彼と共に艱難(くるし)みて、彼の生命の頒与(はんよ)にあずからんための艱難である。》

頒与とは、分かち合うとか、与える、受けるなどの意味があります。
ここでは、イエスと共に艱難を受け、イエスの命を受けるために艱難があるのだと内村が言っています。
イエスの命を受けるとは、どういう事か。
イエスの十字架と復活により罪が赦されて、与えられる命であると思います。
それを次の文でパウロの言葉を引用しています。

《パウロの言葉をもって言うならば、
 これ彼れおよび彼の復活の力を知り、彼の死のさまにしたがいて彼の苦難にあずかり、
 いかにもして死者のうちより復活することを得んがためなり(ピリピ書 三章十、十一節)
である。》

ここは今私たちが使っている聖書を一緒に読みたいと思いますので、聖書を開いて下さい。
フィリピ書3章10節「私はキリストとその復活の力とを知り、その苦しみにあずかって、その死の姿にあやかりながら、何とかして死者の中からの復活に達したいのです。」

《これゆえに、我はイエスがその身に受けたまいし艱難をことごとくわが身に受くる必要があるのである。イエスは国人に捨てられたもうた。われもまた国人に捨てれて彼のその苦難にあずかることができるのである。》
そのため、私はイエスがその身に受けた艱難を自分の身に受ける必要がある。イエスは、国人に捨てられた。私もまた国人に捨てられることで、イエスの苦難にあずかることができるのである。

少し、内村の生涯について話したいと思います。
裏面を見て下さい。内村の略歴をのせました。(すみません、後ほどupします。)
内村は、江戸末期に生まれ、明治、大正、昭和初期を生きた人間です。
17歳で札幌農学校に2期生として入学し、キリスト教に触れます。
その後23歳で結婚しますが7ヶ月で離婚、そして渡米します。
26歳で帰国し、教員生活をしていた29歳の時に不敬事件を起こします。
そこで、非国民と呼ばれ、日本国内には落ち着く場所がなくなったそうです。
また、苦難は家庭の中でも起こり、2人目の妻(横浜加寿子)は流感で病死、3度目の結婚で授かった娘ルツ子も18歳で病気で亡くなります。
経済的にも困難を極め、生涯に3度餓死を覚悟した事があったようです。
ここで書かれている我もまた国人に捨てられ、というのはそういった内村の現実にある中での艱難を言っていると思います。

少し文章をとばします。波線を引いた箇所を見て下さい。
ここが、この文章の全てのエッセンスだと思います。では、読みます。

《しかしてわれらは艱難を多く受くれば受くるほど、それだけ近くイエスに近寄り、彼に似ることが出来るのである。艱難を知らない者はイエスを知らない者である。
ゆえにパウロは言うた、われはキリストのために弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行きづまりとに会うを楽しみとせり(コリント後書 十二章十節)と。まことに朽ちる金よりも貴く、光る金剛石よりも値いと貴き者はわれらに臨むさまざまの艱難である。》

どんな文脈の中でのパウロの言葉かと言うと、この聖書箇所の前には、こう書かれています。
「思い上がることのないようにと、私の身に1つのとげが与えられました。8節、この使いについて、離れ去らせてくださるようにと、私は三度主に願いました。すると主は、私の恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ。だから、弱さを誇りましょう。」といい、この内村の文に乗せられた箇所になります。10節「それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、私は弱いときにこそ強いからです。」

まとめに入ります。
この文章で、内村は、何のための艱難かと自問します。
その中で、イエスを知るためだと答えを出します。
しかも、そのイエスを深く知り、イエスと同じように艱難を受けることで、
イエスから与えられる命を受ける事だと内村は言うのです。
艱難が多いことを嘆かなくても良い、苦難と同じように慰めも、キリストによって与えられるのだ、と。
そして、最後の波線部分がとても大事だと思います。
艱難を多く受ければ受けるほど、イエスに近寄る。
そして、艱難を知らない者はイエスを知らない者と書いていますが、裏を返せば、艱難を知る者は既にイエスに近づいて、イエスを知っているとも言えると思います。
たとえ、今はイエスを自分の心のうちに入れられなくとも、艱難を通して既にイエスの近くに寄っていっており、絶望ではなく希望が与えられている事が示されていると思いました。
このあと讃美歌522番を共に讃美しようと思いますが、その讃美の歌詞にもあるように、困難な状況にあり、憂い、嘆きや悲しみの雨があっても、神様の御言葉や愛によって、夜の間に晴れて、朝日と輝くのです。
日々、新たにされて、イエスから命を分けてもらいながら生きていることを、心に留めていきたいと思います。

安彦真穂
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キリスト教音楽講習会 :: 2013/09/20(Fri)

今年も暑い夏でした。
台風が去った後、山形は朝晩冷え込むようになり、寒いときにはフリースを着て過ごしています。
関東はまだ残暑が厳しいのでしょうか。

夏真っ盛りの8月20日~23日の4日間、
私は、目白にある聖書神学校を会場にした、「キリスト教音楽講習会」~たたえよ、主の民~ に参加してきました!

キリスト教音楽講習会は85年の歴史ある講習会で、
教会や教育の中でキリスト教音楽や讃美に携わる人を対象に行われており、
礼拝・合唱(讃美)を中心に、主題講演・実技レッスン・各種ゼミなど充実したプログラムで構成されていました。
4日間の集中した時間に、良い学びや信仰的深まりが与えられたり、
教派・団体を越えた出逢いが出来た事が嬉しかったです。

最近、ほとんど更新が出来ていないこのブログ。
自分に対する覚え書き的意味合いも含めて、数回に分けて報告したいと思います。



まずは、主題講演の報告です。
主題講演は、フェリス女学院大学学長の秋岡陽氏
さまざまな讃美歌が生まれた背景や、今の私たちの讃美とのつながりについて、
普段見ることのできない歴史的に貴重な資料などを用いて、2日に分けてお話して下さいました。

1日目の講演では、古代から中世にかけてのお話。
ラテン語で一部の聖職者や修道士が讃美をしていた時代が長く続いていたけれど、
ルネサンスに、ルターによって宗教改革が起こり母語であるドイツ語で讃美(コラール)を歌うようになった。
ルターの業績は、免罪符とプロテスタントの派生だけではなかったのですね。
ルターによって初めて有節形式(讃美歌に何番という節が出来た)事や、
母語で会衆が讃美出来るという事で、信仰共同体にとって讃美歌が「共有財産」になりました。
これが、今の私たちが歌っている讃美や礼拝の基礎となっているのです。
約500年前の話ですが、時を越えて今の自分に影響を及ぼしている事実。
本物は揺るがず、いい意味で継承されていくのですね。

2日目の講演では、1500年以降のアメリカとイギリスの讃美歌の歴史を学びました。
イギリスでは、Issac Wattsが、社会の底辺で生きる人々が集まる教会で、
ルターと同様に人々が分かる言葉で讃美歌を作りました。
そして、C.Wesleyは、個人の信仰を大切にするメソジストの理念に基づいて讃美歌を作りました。

また、アメリカでは、独立戦争から南北戦争時代にかけて、多くの創作讃美歌や日曜学校讃美歌・福音唱歌(ゴスペルソング)が作られていったようです。
小さい頃、日曜学校で色々な歌を歌いましたが、
子供でも歌える讃美歌が作られたルーツは、ここにあったのですねー。なるほど。



そしてそして、日本の讃美歌はいつから歌われているのか、という話し。

それは鎖国後、欧米から宣教師が来日して様々な讃美歌が日本に入ったのが始まりだそうです。
しかし、翻訳されたけれど、英語のように一単語を一音に入れられないという課題が浮上。
そのため、節を増やしたり、言葉を削ったりして、体裁を整えられました。
面白かったのは、鎖国後当時は道徳的な讃美歌も日本に入ってきたようで、
なんと!!! 「禁酒を歌う讃美歌」があったということを知り、驚きました。

1954年の基督教団讃美歌は主にイギリス・アメリカの新しい(1800~1900年代)讃美歌が採用されているとの事でした。
無教会は、この讃美歌を使っている所が殆どではないでしょうか。

今、教会で最も使用されている「讃美歌21」では、新共同訳聖書の言葉に合わせた翻訳をしたり、
差別・天皇を表した言葉の変更、教会暦を意識した構成や地球規模の讃美を導入、
詩編歌を多く採用したなどの特徴があるようです。

今回の講習会では讃美歌21をたくさん歌いました。
あぁ、こんな曲もあるんだ。とか、
ドイツコラールや詩編歌など、歌ってみたいな~と思っていた曲が入っていたり・・・。
ずっと手元に持ってはいたけれど、使っていなかった讃美歌21と親しくなれたような気がしました。


安彦真穂








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紅葉が美しい季節になりました :: 2012/11/05(Mon)

美しい秋の季節。

自然の中に入ると、時々刻々と変化する紅葉を楽しむことができます。

八木重吉の詩を、ふと思い出しました。


  「素朴な琴」

  このあかるさのなかへ
  ひとつの素朴な琴をおけば
  秋の美しさに耐へかね
  琴はしづかに鳴りいだすだろう




この後来る長く厳しい冬の前、

神様がほんの僅かな時間だけ見せてくれる、秋の美しさという贈り物。

(続きを読むをクリックすると、最近撮った写真を見ることができます。)

安彦真穂


続きを読む
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まだ10月ですが・・・ :: 2012/10/30(Tue)

まだ10月(明後日から11月)ですが、クリスマスのお知らせが届きましたのでupします。


2012浦和クリスマス・コンサート(主催:浦和キリスト集会)

日時:2012年12月2日(日曜日) 午後2時~3時30分(予定)

場所:埼玉会館2階ラウンジ

テーマ:まばたきの詩人 水野源三の世界を歌う

出演  阪井和夫/歌、弾き語り    浜田盟子/歌、詩朗読

詳細HP:http://www.imaikankyoyukai.or.jp/

まばたきの詩人 水野源三さんは、長野県生まれ。

9歳の時赤痢に罹りその高熱によって脳性麻痺を起こし、目と耳の機能以外のすべてを失いました。

話すことも書くことも出来なくなったが、母親が何とか彼と意思の疎通をしようと五十音順を指で指し示したところ、目の動きで応答しました。

これが47歳で死去するまでの彼の唯一のコミュニケーション能力となったそうです。

「瞬きの詩人」と呼ばれるようになったのはそのためです。

12歳の時母親がおいた聖書を読みやがてクリスチャンとなります。

18歳の時からは詩作を開始し、その詩風は神への喜びを表す純粋な詩でした。



水野源三さんの詩に曲がつけられたものがあるのですが、私は高校時代に合唱で歌った経験があります。

心にスッとしみいってくる詩は、苦しい時、悲しい時、嬉しい時の心の支えとなっています。

彼の生涯がDVDになっていて、教文館で買うことができます。

http://shop-kyobunkwan.com/product-7052.html

まほ
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